木目調のテーブルの上に配置された、こんがりと焼けたトースト。
淹れたてのコーヒー、さほど瑞々しくもないリンゴと包丁。包丁は最近切れ味が芳しくない。
そしてその下に敷かれた「夏は受験の天王山」という文字が躍る塾のチラシがパンの皿代わり。
しかしこれを皿に代用することで、日常のリアリティと、これから何かが始まると予感させる瑞々しい緊張感が同居していますよね。
私の毎朝の朝食は、まさに今日一日の天王山かもしれませんからね。コーヒーを飲めば頭もシャキッとするわけだし。
これが私にとってはいつもの風景ですが、ご覧いただく方の中には「非常に興味深く、そしてどこか物語のプロローグを感じさせる写真だなぁ」などと思ってくださる方もいるかもしれません、いや、無いか。
ところで美術史の視点からこの食卓、否、一般的に見ても、この、あまりに侘しいメニューを見ていると、17世紀のオランダで流行した「静物画」、特に「人生の儚さの警告」の文脈を想起させます。
それは「ヴァニタス画(虚無画)」と呼ばれます。日本的には諸行無常といったところかな。
このスタイルの絵は経済的に繁栄したオランダ黄金時代において、富や現世の快楽を享受する一方で、キリスト教的な「死の不可避性」や「人生のむなしさ」を同時に想起させることを目的としている風です。骸骨と共に豊かさや繁栄を象徴するものと一緒に描くことで、それらを表現していて、寓意的な絵画として発展しました。
17世紀当時の芸術的背景(絵画市場の変化)
16世紀に宗教改革と激しい独立戦争(1568〜1648年)が始まり、17世紀にオランダ共和国として事実上の独立と経済的繁栄を達成したことで、この独特な市民向けのアート市場が完成しました。フェルメールやレンブラントが活躍したのもこの17世紀のオランダです。
この宗教改革以降、教会という最大のパトロンを失った画家たちは、新しい顧客である裕福な市民層に向けて作品を売る必要がありました。単なる美しい静物画に「人生の教訓」という付加価値をつけることで、富裕層の購入者(市民)の道徳的に自身を正当化したいという気持ちに応えたのかもしれません。
しかし、この写真を真上から見たところはヴァニタス画というより抽象画に近い趣があります。これを絵にしたら、そんな印象になるかもしれないです。
リンゴと刃物の象徴: 静物画において、リンゴは「知恵」や「選択」を象徴します。リンゴは西洋文化において非常に重要な象徴です。旧約聖書に登場する「禁断の果実(知恵の実)」として広く知られており、神の教えに従うか、自ら善悪を知る道(知恵)を選ぶかという「究極の選択」を表しています。しかし、キリスト教信者じゃない私は、ちょっと何言ってるか分かんないや。
りんごに添えられた包丁(刃物)は、いつか終わりが来る時間や、運命を切り拓く意志を暗示します。また、トーストの焦げ目や、コーヒーも、「移り変わる時間」の表現です、とAI。本当かな違うと思うな、これは。なぜなら自分がそう思えないもんな。移り変わる時間を感じるなら時計だよね、コーヒーやトーストなんかより。包丁で運命を切り拓くっていうのも無理な感じがしますし。
ここから膨らむイメージ:
ところでリンゴと包丁という古典的な絵画のモチーフになぞらえるアプローチで絵になるだろうか?
画面左下にある現代的なガジェット(スマートフォンやキーボード)の配置をもう少し煮詰めて考えれば、もしかしたら古典的な静物(リンゴ・パン)が混在する「2020年代のヴァニタス画」としてイケるんじゃないか?いや、ヴェニタス画というより虚無そのものの絵じゃないか?これは。
写真に人物は居ないが、どこかに自分を登場させたら、よほどピカソの貧しい食事の現代版に近い印象にもなります。パンとコーヒーがもたらす「思考の覚醒」
知性を刺激する黒い水: 17世紀のヨーロッパにコーヒーハウスが登場した際、それまでアルコールを飲んでいた人々がコーヒーを飲むようになったことで、「理性の時代(啓蒙主義)」が加速したと言われています。この写真が表現しているのは、つまり、頭をクリアにし、集中力を高めるための「儀式」としての朝食です。
ここから膨らむイメージ: チラシに書かれた「考える力を身につける」というフレーズと、脳のエネルギー源となるブドウ糖(トースト)、そして覚醒を促すコーヒー。これらはすべて、「思考を前進させるための燃料」という共通点を持っています。
これは日常の断片だけれど、現代のヴェニタス画としての解釈といった視点で、これをエスキースというか、取っ掛かりにして作品を描くのも一興だろうか?まぁ、今夜ゆっくり考えてみよう。
・・・と思ったところで、夜までには忘れちゃうのだ。
コメント
コメントを投稿