みなさんこんにちは。
みずうみの底に居て水面を仰ぐシュンです。
最近キャンバスを張るために、その「枠」を製作中です。今月6月中になんとかしたい。
ノコギリでギコギコやってね。100号(161×130cm)のを2つ作ろう。
そんなことしながら今回の描く絵を構想していきましょう。
絵を描いて第78回の行動展(2023(令和5年)に出すつもりです。
今回も「らせん」で作品を描くのは同じだけど、昨年とは違う絵を作りたい。
とりあえず一点突破で同じスタイルで頑張っていこう。
ところで 「らせん」にはいろいろと思うところがあります。
ひとつには自分の中で「らせん」は生きることの象徴のように感じるものです。
らせんには、円運動を描き進む様子から時間の経過を思わせるところがありますよね。
時間の経過はやがて一生と続いていくわけで。そればかりではなく自分自身の持つ時間とは無関係に延々と続いていくのだろう。
というわけで、大きな作品を描く前にS4程度の小さな絵を描いてみました。
ウロボロスとは、自身の尾を噛んで円環をなす蛇、あるいは竜の図像を指します。この図像は単なるモチーフではなく、人類の最も根源的な概念である「永遠」「再生」「死と破壊の後に続く創造」「宇宙の統合」を象徴していると言われてます。
ひとつには「らせん」は美を孕む。その中には身近に感じとれるものも沢山あります。
たとえば株の銘柄のチャートがあります。
ところで僕はいつもお金が無い。それでいてお金にならない美的なことに心を奪われて日々研究に余念がないわけで。そうなると糊口をしのぐためには私はパトロンが欲しい。しかも強力な!
そこで数年前から株でひと儲けしようと目を真っ赤に血走らせて、伸るか反るかの大勝負!日々戦々恐々とすることになっちゃって。
そこで株を売り買いする時には、その銘柄の、例えば日本たばこ産業(JT)の株を買おうか、という時にはチャートというものを見て売りどき買いどきを判断します。そのチャートなんですが時間とともに株価が波打って変化していくわけです。その変化の様子はまさに「らせん」と一緒です。「らせん」というと立体的なものをイメージしますが「らせん」を2次元化してみると、単なるジグザグの線のようになります。
つまり、ジグザグの線は「らせん」のようだ、とも感じ取れるわけです。
それは波動しながら時々刻々移り変わっていく。そしてそれがちゃんと実体経済と繋がっているんですよね。
そのチャートをつぶさに観察し研究してまいりますと黄金比率で値動きが変わる場面が沢山あるわけで。
黄金比率というのは自然の中に含まれる美の極致とも言える比率のことです。その比率で数字を羅列していくとフィボナッチ数列と言われるものになります。
たとえば人間の骨の成長の比率が1:1.618のそれだったりします。あるいは貝殻の渦巻きの比率だったり、挙げるときりがありません。
株価の値動きがつくる「らせん」(平面だから「らせん」じゃないかもしれないが)も、ある意味、人が作りだしたものであるにもかかわらず、節目節目に黄金比率が現れることが多いんですよね。そういうところで美を感じるのです。
チャートを見ていると、その動きはとても美しくて、かつ面白く、いつまで見ていても飽きない。いつも同じ動きのように見えて、同じ動きをすることがない。ある部分を大きく拡大してみても、全体を俯瞰してみても不自然さが微塵もない。
うん、これはフラクタルだ、かつ不思議だなぁ、と思う。
ひとつには「らせん」は一見すると同じことの繰り返し。
普段生活していると、大抵のことは同じことの繰り返し。らせんのようだ、と思う。だから「らせん」を描いていると「今日も昨日と一緒だな」と確認しているみたいに感じたり。しかし、出来たのを見ると同じように描いたつもりが同じ絵にはならないんですよね。
ひとつには「らせん」は平面的でありながら立体的にも見える。
らせん的なもの、たとえばバネとかをある程度引き伸ばすと平面のように見える。しかし、角度を変えて、あるいは縮ませると立体的に見えるもんです。そういうところに面白さを感じる自分はちょっとおかしいのかもしれない。
ひとつには「らせん」は蛇が泳ぐ軌跡のようにも見えなくもない。
・・・とまぁ、考えていくと深くて限がありませんが、とにかく頑張っていこうと思います。



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