今日は雨降りの仙台。
私は若い頃から令和元年末まで、その多くをアルバイトしながら絵を描いてきました。
絵で身を立てることも出来ないままに50歳くらいになってきて、いつもギリギリの生活で、もう、ほとほと疲れてきまして。それで今年からフルに働くことにしたんです。
絵を描く時間もあまり無いんですが、最近、武漢コロナショックの影響でちょっと時間ができました。武漢コロナショック前に就職出来て良かった、ギリギリセーフ!
仕事中でしたがトラック積み込みの待ち時間に描いてみましたよ。僅かな時間で描くもんだから、だいぶ神経が行き届いてない感じがいたします。
F0程度のスケッチブックと小さいけれど、こういう時には向いています。
そのうち、もう少し仕事に慣れてきて、ゆとりが出てきたら休みの日には風景画を描きに行こう。
ところで鉛筆画っていうのは色は無いけれど画材は紙と鉛筆だけで足りて、とても気軽にやれるもんです。
しかし簡素なだけに何より絵描きの力量が試されます。簡素なだけに、ごまかせない。他の誰も気づかなくても、分かる人がその絵を見れば、力のほどが分かるわけで。
ところで鉛筆画は、色彩という大きな要素が無い絵です。色彩が無いというだけで、脳の負担がとても少ないものです。
実は絵を描く上において色彩にかかる情報処理は、その他の要素に比較して脳を焼き尽くすほどのエネルギーを必要とします。
野外で絵を描くとわかるのですが、太陽は時々刻々と移動いたします。
太陽が眼の前の風景に及ぼす影響力は甚大で、誰も止めることは出来ません。それに合わせて色彩も時々刻々変わっていくのです。影は移り変わり、色も瞬間瞬間に変わりゆくのです。風が吹けば木々も揺れ動き・・・・あぁ、これこそ諸行無常の響きあり。です。これを目の当たりにすると、どのように絵にすべきか、と混乱し、そうしたことをフルパワーで情報処理しようとすると脳が限界を越えちゃいます。頭がカッと熱くなり煙が出てるんじゃないか?と思うほどです。
そのため、多くの絵描きは絵の具の使い方をパターン化、システム化して対処します。
たとえば、前もって、この順番で、この色で、この配色で、とルールを決めておくわけです。それで、だいたいは同じ人が描いた絵というのはワンパターンに見えることになっちゃいます。しかしそれは、現実から目をそらすことになるのですが、脳の壊れるほどの負担を考えれば、まぁ仕方ないのかもしれません。
鉛筆画というのは、そうした色彩に関する脳を焼き尽くすエネルギーを、形と光と影、抽象化の解像度処理のみに力を集中させることで表現できる世界。
つまり、あらゆる画材で描かれる絵より思考の過程が見えやすい、と言えます。
そうして出来たものは後日、振り返って見つめる時、何より参考になります。
そうなると、鉛筆画というのを、自分の描く他の何より良い作品したいもんだな、と考えるちゃいます。

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